東京地方裁判所 昭和40年(ワ)11212号 判決 1969年2月24日
原告
登石保
原告
登石由喜子
右両名訴訟代理人
小木貞一
被告
日通トラック株式会社
被告
猪股誠
右両名代理人
興石睦
ほか二名
主文
一、被告らは各自、原告登石保に対し金一九九万三七四一円およびうち金一七三万三七四一円に対する、原告登石由喜子に対し金一八一万〇〇二六円およびうち金一五六万〇〇二六円に対する、いずれも昭和四〇年一二月三一日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は、被告らの負担とする。
四、本判決第一項は、かりに執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一、原告ら
被告らは、各自、原告登石保に対し二三六万三七四一円およびうち二〇四万三七四一円に対する、原告登石由喜子に対し二一六万九二二六円およびうち一八七万〇〇二六円に対する、いずれも昭和四〇年一二月三一日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決および仮執行の宣言を求める。
二、被告ら
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決を求める。
第二 請求原因
一、(事故の発生)
昭和三八年六月二六日午後五時二〇分頃、東京都江東区深川佐賀町一丁目二四番地先道路(以下本件道路という。)上において、被告猪股誠(以下被告猪股という。)は大型貨物自動車(品一い八六一号、以下甲車という。)を運転進行中、道路左側を甲車と同方向に歩いていた訴外登石登(以下登という。)に甲車を接触、転倒させてこれを轢過し、因つて同日午後九時五五分頃死亡させるに至つた。
二、(被告会社の地位)
被告日通トラック株式会社(以下被告会社という。)は甲車を所有し、これを自己のために運行の用に供する者であつた。
三、(被告猪股の過失)
自動車運転者たるものは絶えず前方を注視し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、被告猪股は、助手の訴外小川美津男(以下訴外小川という)と雑談にふけりながら甲車を時速三〇〜四〇粁の速度で運転したため前方不注視の過失により本件事故を惹起した
四、(損害)
(一) 入院治療費
原告保は登を鈴木病院に入院させ、治療費として同病院に四万四〇三〇円を支払い同額の損害を蒙つた。
(二) 葬儀関係費
原告保は登の葬儀関係費として一二万九六八五円を支出し、同額の損害を蒙つた。
(三) 登の失つた得べかりし利益
登は昭和三二年九月一九日生まれの当時満五年九カ月の健康な男子で、本件事故にあわなければ、第一〇回生命表上満五才の男子の平均余命である62.45年程度生存しえて一定の収入を得たであろうと考えられる。
そして同人は、その生存期間中二五才から六〇才に達するまでの三五年間にわたり、毎年少なくとも一二万五五二九円の純益を得ることができたはずである。そこでホフマン式(複式、年別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益の原価を求めると二五四万〇〇五二円となり、同人は同額の損害を蒙つたことになる。
(四) 登の慰謝料
登が本件事故によつて受傷した時から死亡に至るまでの数時間に味わつた精神的苦痛は絶大なものであるので同人の右苦痛に対する慰謝料としては七〇万円が相当である。
(五) 原告らの相続
原告らは登の父母であり、登の死亡により、右の逸失利益の損害賠償請求権と(四)の慰謝料請求権の合計三二四万〇〇五二円の各二分の一に相当する一六二万〇〇二六円を相続により承継した。
(六) 原告ら固有の慰謝料
各五〇万円(但し、登の慰謝料が認められない場合には各八五万円)
(七) 原告らの自賠責保険金の受領および充当
原告らは自賠責保険金を各二五万円受領したので、これを右原告らの損害額に充当すると、原告保については二〇四万三七四一円、原告由喜子については一八七万〇〇二六円となる。
(八) 弁護士費用
1 原告 保 三二万円
同由喜子 二九万九二〇〇円
五、(結論)
よつて、被告会社に対し自賠法三条により、被告猪股に対し民法七〇九条により、原告保は二三六万三七四一円および弁護士費用を除いたうち二〇四万三七四一円に対する原告由喜子は二一六万九二二六円および弁護士費用を除いたうち一八七万〇〇二六円に対するいずれも本件訴状送達の翌日である昭和四〇年一二月三一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合にょる遅延損害金の支払いを求める。
第三 請求原因に対する認否
一、請求原因第一項の事実中、原告ら主張の日時・場所を被告猪股の運転する甲車が走行したことおよび登が死亡したことは認め、その余は否認する。
登の死亡事故は甲車の運行とは全く関係のないものである。すなわち被告猪股は当日三井倉庫と芝浦製糖間を五回運行したが、その第四回目の運行時今津タバコ店でアイスクリームを買うため同店前で一時停止しているのであるが登を死に至らしめた加害車両は、各目撃者の証言によれば今津タバコ店前では一時停止などしておらず、甲車と加害車両とは全く別の車両なのである。右の一時停止は、甲車に取り付けられていたタコグラフの解析結果からも明らかである。解析結果によれば甲車は同日一七時一二分三〇秒頃出発し、発車地点から五三四米の地点で四九秒間停止し次に一六〇米走行して五四秒停止しているのであるが、出発点は三井倉庫一二番口(以下、これを基点という。)から更に倉庫壁に沿つて三七米先の地点(以下、これを奥の地点という。)であるから、この奥の地点から測ると、右の第一、第二の停止地点は、それぞれ、今津タバコ店前および佐賀町交差点手前のガソリンスタンド前に相当する。右の測定値に誤差があつても、それはプラス・マイナス一〇パーセントに過ぎないから、右五三四米の地点での一時停止が佐賀町交差点での一時停止と解される余地はない。そして、タコグラフ上異常振動は記録されていない。
二、同第二項の事実中、被告会社が甲車を所有していたことは認め、その余は否認する。
三、同第三項の事実はすべて否認する。甲車は登の死亡事故とは全く関係がないのである。
四、同第四項の事実中、
(一)に対して 不知
(二)に対して 不知
(三)に対して 否認する。
(四)に対して 否認する。
(五)に対して 不知
(六)に対して 不知
(八)に対して 不知
第四 被告らの仮定的抗弁
一、登が収入を得るに至るまでの間の養育費、教育費等は原告らが本件事故により支出を免れた金額であるので、原告らの本訴請求が仮りに認められる場合には、右請求額からこれを控除すべきである。
二、同様に登の就労可能年限以降の生活費も、これを控除すべきである。
第五 抗弁に対する原告らの認否
いずれも否認する。
第六 証拠<省略>
理由
一本件事故と甲車との関係
本件の最大の争点は、登を轢過した加害車両が甲車であるか否かにある。請求原因第一項中、原告ら主張の日時・場所を被告猪股の運転する甲車が走行したことおよび登が死亡したことは当事者間に争いがないが、被告らは甲車の走行と本件事故の発生との間には全く関係がないと主張しているのである。
(一) 被告らは右主張を裏付けるために後記のタコグラフ解析の数値を援用するのであるが、まず、これと関係なしに確定しうるいくつかの事実がある。
1 事故現場の状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
本件事故現場は、ほぼ南北に走る幅員一一米の歩車道の区別のないアスフアルト舗装道路である本件道路上であり、事故現場の南方約一八〇米の地点には本件道路が永代通りと三差路をなして交差する江東区深川佐賀町交差点がある。事故現場の東側には辰巳ビル(荒井源太郎商店、啓東産業株式会社、日機土木株式会社等がある。)があり、その南隣りには丸市商店車庫、更に0.8米の路地をはさんで、丸市商店、新谷歯科、今津商店(タバコ店)、藤井方があり、更にその南側は本件道路と直角に交わる道路の歩道となつている。辰巳ビルの北隣りは路地となつていて、その路地に接して第一農商株式会社があり、その隣りに佐賀町公園がある。事故現場付近の本件道路は直線で見通しは非常に良好である。事故現場の約一〇〇米北方で本件道路は丁字路となり、付近は倉庫街を形成している。右丁字路の東方約九〇米の地点は交差点となつており、その交差点の北方約一六三米の地点に基点があり、その屋上にクレーンが設置されている。
2 登の被害状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
事故直後登は辰巳ビルと丸市商店車庫との境界線あたりから2.7米の本件道路上に頭を佐賀町交差点方面に向け転倒していた。
同人の背部上半身には、右肺部付近にやや斜めの擦過痕があり、その下方左半身に二条づつやや平行の皮下出血痕がある。この上方の二条は、長さが約五糎でその間隔は中心付近で五糎であつた。下方の二条については、右側の線は長さ五糎左側のが六糎で、その間隔は中心付近がやはり五糎であり、いずれもタイヤ痕と考えられる。そして胸部から上と左足を除く部分に大小の多くの擦過痕があつた。当時同人が一番外側に着用していた化繊シャツ、白タオル地の半ズボンおよび白色運動靴を見分すると、シャツの背部の左右の中心線から左側、上下中央あたりに縦二五糎、横二〇糎位にわたつてタイヤのショルダー部分の痕跡と思料される線が残つていたが、ズボンにはタイヤ痕らしいものは見あたらなかつた。
3 目撃者の存在
イ 近藤健
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
クリーニング業を営む訴外近藤健は、福寿堂(本件道路をはさんで辰巳ビル北隣りの路地に対応する。)の前に置いておいた自転車に乗り佐賀町交差点方面に向かうべく本件道路を斜めに横切ろうとした時、後方から黄色いトラックが一台走行してくるのを発見し、ブレーキをかけて停車したところ、トラックが通り過ぎて行なつた。そのあとを渡ろうとしたところ、辰巳ビル端あたりに前記状態で転倒している登を発見し、すぐトラックの方に目をやつた。そのトラックは荷台に米俵様の物を積んだ大型トラックで運転手と助手の二名が乗つており、そのまま停車することなく進行して行き、佐賀町交差点で一時停止し、右折して行なつた。そしてその間に同人は手帳に、事故の証拠を保存する目的で、「八六一」「共同」「右へ」と記入した。同人はその間右トラック以外にトラックは見かけなかつた。
ロ 相沢(旧姓小松)明子
啓東産業株式会社に勤めていた訴外相沢明子は、当日午後五時少し過ぎ頃同会社を出て、本件道路東側端を佐賀町交差点方面に向けて帰途についていた。同女の右側を同僚の訴外工藤祐子がいつしよに歩いていた。当時訴外相沢は水色のブラウスを着用していた。同女は後方から来ることになつていた訴外宮内正子が追いつくことができるように訴外工藤とともにゆつくり歩いていた。同女は今津商店あたりから約三一米歩く間に五度後方を振り返つて訴外宮内が追いついて来ないかと確かめていた。同女が最後に振り返つた地点から更に七米余進行したとき(この地点は訴外大谷運輸株式会社の前にあたる。)、大きな音がして黄色いトラックが時速四〇粁を超える速度で後方から進来し、通り過ぎて行つた。その時振り返つた同女の視界に訴外宮内が来るのと、登が前示状態で路上に転倒している光景が入つた。同女はトラックに表示されていた二文字のうち一文字が「同」であるのを見、また右トラックが佐賀町交差点で一時停止した後、同交差点で右折して行くのを見た。トラックの荷台には何か紙袋のようなものが荷台枠より三〇糎ばかり高く積んであつた。同女が前記会社を出て事故現場付近を通つた頃登は倒れていず、振り返つていた間も後方に異常はなかつた。同女がビルを出てから前記黄色いトラックに追い抜かれるまでの間、他に追い抜いて行く車も対向車も目に入らなかつた。同女は辰巳ビルの南隣りにある丸市商店車庫の前あたりで、同方向に歩いて行く訴外御園弘美、石渡一の二名の子供を追い抜いた。
ハ 工藤(旧姓渡辺)祐子
<証拠>によれば次の事実が認められる。
訴外工藤は前記大谷運輸株式会社の前で、黄色いトラックに追い抜かれた際、トラックの助手席に乗つていた者が首からタオルを下げていたこと、右トラックに「合同」という文字が表示されていたことおよび荷台の荷物が訴外相沢が見たような状態で積まれていたこと等を目撃した。
ニ 御園弘美
<証拠>によれば次の事実が認められる。
訴外弘美(当時六才)は訴外石渡一とともに、今津商店にガムを買いに行つたがその帰りに、本件道路東側端を佐賀町公園の方に向けて歩き始めた時、同公園の方から本件道路東側端を歩いて来る登を見、更にその後方から黄色いトラックが進来するのを見た。そして同女が丸市商店と同店車庫の間にある路地付近まで行つた時、右トラックが後方から登にぶつかり、同人を轢過するのを目撃した。
(二) 以上の諸事実によれば、当日午後五時二〇分頃、佐賀町公園方面から佐賀町交差点方面に向けて本件道路左端を歩行中の登に後方から来たトラックが衝突して、うつぶせになつたところをその左側車輪(前輪か後輪か、あるいはその両輪によるものであるかについては不明)で轢過したこと、そのトラックが、黄色の塗装で、「共同」または「合同」の文字を外側に表示し、紙袋様の荷を荷台枠以上に積み上げていたものであることは、これを認定するに十分であり、また、そのナンバーは「八六一あるいは右三文字を含むもの」であろうと推測されるのであるが、これらの徴表と甲車との関係については、更に次のような諸事実がある。
1 甲車の外観
<証拠>によれば次の事実が認められる。
三井倉庫から芝浦製糖に砂糖を運搬する作業に、被告会社(当時の商号が日本合同トラック株式会社であつたことは被告らの明らかに争わぬところである。)からは二台の車が派遣されていた。二台とも黄色塗装であり、その一台は品一い八六一号であり、他の一台は一〇〇五号であつた。
甲車の車両番号が品一い八六一号であることは当事者間に争いがない。
2 当日の甲車の運行
<証拠>によれば次の事実が認められる。
甲車な当日三井倉庫と芝浦製糖との間を五回往復した。一ないし三回目は二〇〇袋を、四回目は二四九ないし二五〇袋(一袋三〇キログラム)を積載し、五回目は空車であつた。甲車の四回目の走行は、午後五時一〇分ないし二〇分に基点を出発するものであつた。一〇〇五号車の方も甲車よりも三〇分ばかり前に出発しており、本件事故発生の時間(五時二〇分頃)を考慮すると、本件事故との関係で問題となるのはこの甲車の四回目の走行のみである。この走行時に、甲車は佐賀町交差点で一時停止して後、そこで右折して芝浦製糖に向かつた。
なお、この四回目の走行時に甲車の助手席には作業服を着用しタオルを首にかけた訴外小川が同乗しており、同人は前記大谷運輸株式会社のあたりを通過する際、甲車の左前を佐賀町交差点方面に向かつて歩いて行く若い女性を二〜三人見かけており、その一人は水色の服を着ていた。
3 その他の物的証拠
イ タイヤ痕
<証拠>によれば、登の着衣のタイヤ痕は甲車タイヤのトレッド(接地面)の中途からショルダー(側面)にかけての紋様と類似していることが認められる。
ロ ルミノール反応
<証拠>によれば、事故の翌日警視庁で甲車と一〇〇五号車についてルミノール反応検査を行なつたところ、甲車にはルミノール反応が出たけれども、一〇〇五号車には出なかつたことが認められる。
(三) 右の諸事実は、それぞれに甲車への嫌疑を指向するものであり、相合して、甲車こそ本件加害車両であるとの推定を許すものといえるが、その断定に先立ち、被告ら主張にかかるタコグラフの解析結果を検討する必要がある。けだし、被告ら主張によれば、甲車は事故現場から南方一七米の今津タバコ店前で停車していることがタコグラフ解析により明らであかるというのであるが、先に列挙した訴外御園弘美以外の目撃証人はいずれも、「ひき逃げ車」が佐賀町交差点まで停車することなく走行した旨証言しているのである。したがつて、もし右のタバコ店での停車が認められるとすれば右の推定に対する有力な反証といえ、果して右の解析結果が争い難いものであるか否かを問題とせぜるを得ないのである。
1 タコグラフの機能
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
運行記録計と呼ばれるものには、自動車運送業者と契約者(荷主)に不可欠な組織的情報機能、運転技術の評価機能およびチャートの顕微鏡的評価による事故の状況解明機能がある。
甲車に取り付けられていた運行記録計はドイツのキンツレー社の開発したタコグラフ(TOO八型)であり、その仕組みは、円形記録用紙と時計装置を用い、二四時間の運行状況を記録するように設計されている。速度記録、振動記録、距離記録の三種が別々に記録されるようになつているが、そのうち速度記録計においては、記録は、速度と時間がそれぞれ縦と横に出るように作成され、これにより二点間の走行距離も算出しうる。一記録紙に一月分が記録されるため一秒間に記録紙の回転する角度は二四〇分の一度となり、一秒間に記録紙上を動く針の移動量は、車両の速度が時速六〇粁の場合四ミクロン、四〇粁の場合3.6ミクロン、二〇粁の場合3.1ミクロンという非常に僅少な値をとる。そして実際に記録紙上に針によつて画かれる記録線の幅は約五〇ミクロンであるため特殊の解折機によつて解析が行なわれる。これは、一度の二四〇分の一の分角機能を有する測定機であつてチャートの拡大された示線の一側にカーソン線を合わせて各地点における速度を読みとるものである。この解析機の秒読みノブは、一目盛を一秒ずつ移動させることが可能となつている。
そして、タコグラフチャート解析により得られた結果の正確性、したがつて信用性については、次のように言うことができる。
イ 走行速度
ほば正確に示されると見てよい。
ロ 走行時間
絶対時刻については議論の余地があるとしても、相対的な時間経過は正確と見てよいであろう。走行時間を秒単位で読みとることについて大久保鑑定は疑念を示しているが、<証拠>によれば、前示解析機の使用により、必ずしも不可能ではなく、ただ誤差の範囲が大きくなる(八木、大久保対質尋問による心証)と見れば足りる。
ハ 走行距離
本件では特に走行距離が問題になる。タコグラフの距離記録は短い距離では誤差が大きくて(キンツレー社作成の説明文書である乙第四号証の2・3項には誤差二パーセントとあるが、これは二〇マイル以上の走行を前提としている。ちなみに、同箇所の訳文にはメートルとあるが、マイルの誤りと思われる。)、事故評価のためには余り重要性がなく(乙第四号証の3・5項参照。ちなみに同箇所の訳文は「無意味な」と訳すべきところ「意味のある」と誤つている。)、他の記録の補助として役に立つ(後ホ参照)だけであるし、本件では、速度記録解析の際参照されたことはあるが、この距離記録自体が解析されたことはないと認められる<証拠―略>。本件における走行距離算定は、距離記録ではなく、速度記録と、時間記録とによつている。すなわち、速度を縦軸に、時間を横軸にとつたとき、走行距離は速度変化を示す曲線の下の面積として表わされることに着眼し、これを速度変化のある点から点へと直線で結んだ場合各線分の下に生ずる梯形の面積の総和を求めることで近似的に算定する方法によつてなされている。短距離走行におけるチャートの解析は、前示解析機によつて走行時間を秒単位で測定してなされるわけであるから、記録自体の精度のほか解折機の性能も問題となる。前項で述べたように、秒単位の読みとりは可能であるが、誤差が大きくなるから、走行距離の算定にもこれが影響する。そして、<証拠>によれば、誤差の範囲はプラス・マイナス一〇パーセントであるというのであるが、実車テスト<証拠―略>によれば、それ以上のパーセンテージになることもあると認められることは後段6で示すとおりである。(ちなみに、八木証人は真値のプラス・マイナス一〇パーセント内に測定値があるか否かの意味で右の語を用いているようであるが、計器の精度に関し測定値の誤差をプラス・マイナスのパーセンテージにより表現する場合には、計測された値にプラス・マイナスした範囲内に真値が存するか否かの意味に用いるのが便宜であり、誤差と真値との比率を示すいわゆる百分比誤差の場合とは趣きを異にすると考えられるので、以下ではこの意味で右の語を使用することとする。もつとも、この点の相違億数値が多少変わるのみで、後記の結論自体に影響するものではない。別表参照)
ニ 接触の痕跡
<証拠>により、他の自動車との衝突がタコグラフ・チャート上に異常振動として記録されるのは、二五〇CCを超える排気量ある自動二輪車以上の車との衝突の場合であつて、それ以下の物体との衝突は記録に出ないと認められる。殊に、本件では、甲車は自重六トンのほか積荷も七五〇〇キログラムあつたのであるから、五歳の子供を轢過しても甲車の運動に対し物理的影響がなかつたことは十分考えられる。したがつて、記録上何らの異常も認められないからといつて本件事故との関係を否定しえない。
ホ 停止か減速かの判別
本件では特にある地点での停止の事実が認定の基礎事実になるが、時速一〇粁以下の速度については速度記録の示線に現われないのではないかという問題がある。チャート上停止と出ているとき本当に停止していたのか一〇粁以下に減速走行していたのが示線に現われず、停止と見誤つているおそれはないか。この点は<証拠>により、速度記録がゼロを示していても距離記録の示線が斜めに走つていれば、停止でなく低速走行と読みとる方法(距離記録の補助的用法)があることが認められるばかりでなく、<証拠>によれば、刑事事件控訴審において、鑑定人の立会いなしになされた数回の実車テスト中、減速走行をしたものは、鑑定人がチャート解析によつて見破つたことが認められる(それも、本件チャートの解析をした八木春尚とは別の鑑定人による判断であつた点に注目される。読みとりが特定人の名人芸でなく客観的方法に基づく作業であることを示しているからである。)から、停止との解析結果判断は、信用してもよいものと考える。
2 本件タコグラフ・チャートの読み
乙第一号証の拡大写真は一七時二〇分頃の走行状態を示している。
このチャートが、甲車の同日の運行を示すものという担保は、その記録自体には必ずしも存しないけれども、検察庁で提出を命じたというのであるから甲車の同日の運行を示すものと推定してよい。進んで、被告らは、甲車の右タコグラフ・チャートの解析結果によれば、甲車はその走行開始点から五三四米走つた地点で四九秒間停止していたと見ることができるというのである。これは前項認定の性能により、一七時二〇分頃四九秒前後の停止をしたことについては心証を得られるが、五三四米という走行距離については相当の誤差を見込まねばならない。
3 現地との対応
右の五三四米走行後の地点が現地でどの地点に照合するかの確定はしかく容易ではない。
イ 走行開始始地点
甲車が第四回目の走行時に、江東区深川佐賀町二丁目二〇番地の三井倉庫から出発したことは問題ないが、出発点は基点であるのか、奥の地点であるのかについて、被告らは奥の地点を主張するが、(被告らの作成提出にかかる乙第二号証では、奥の地点から今津タバコ店までの実測値が五三四米となつている)、被告猪股本人尋問の結果によれば、むしろ基点と認められる。
ロ 距離の実測値
基点から、各地点までの距離については、測定方法も影響して、証拠上いろいろな実測値が出されているが、ここでは刑事事件における検証結果(甲第三三号証)を採用し、以下これを真値とみなして誤差を論じてゆく。(もつとも、他の数値を採用しても、後段の結論に影響するほどの差異はない。)
ハ 二つの地点
<証拠>によれば、基点から五三四米の地点は、本件事故地点から六四米ほど南へ進んだ影山方先の地点であるが、これが停止地点であるとは他の証拠に照らし、認められない。問題となりうるのは、被告ら主張にかかる二つの停止地点、すなわち今津タバコ店前と佐賀町交差点とであるが、この後者については、更に、交差点手前のガソリン・スタンド前か、交差点中央かの問題がある。被告ら自身は前者を主張しているが、被告猪股本人は当事者尋問の際後者と供述し、これは刑事法廷以来一貫していると認められるのである。しかしながら、<証拠>により、甲車の同乗者訴外小川はガソリン・スタンド前の停止を刑事法廷で証言したことが窺われる事実、<証拠>によれば、当時「ひき逃げ車」を背後から注目した目撃者近藤健や小松明子は、ガソリン・スタンド前で信号待ちのため停止したと供述している事実、同人らは百数十米離れて観察していたのであるから、もし交差点中央まで進んでの停止であれば、必ずしも停止と認めなかつたかも知れぬとの疑いを容れうる事実、他方、被告猪股本人の供述は、当日数回この交差点を右折している以上、本件第四回走行以外の走行時の記憶と混同されていることもありうる事実、これらを総合すると、交差点での停止はガソリン・スタンド前と認めるべきである。(ただ、甲車と加害車両とが同一か否かを解決するため、タコグラフの解析結果を論ずる場合、右のようにこの両者の同一を前提として各証拠を使用するのは、論理的に厳密を欠くとの非難もありうるので、以下には、参考のため、交差点中央に停止した場合の数値を示すこととする。)
今津タバコ店前とすると、基点からの距離は四八七米であり、ガソリン・スタンド前とすると六四五米となる(交差点中央とすれば、六六〇米である。甲第三三号証によれば、永代通りの幅員は三五米であり、甲第三四号証の刑事判決はその半分の17.5米を加えているが、右幅員には歩道の含まれていることを考え、一五米を加えた。)そこで、計測値の右実測値に対する誤差を問題としなければならない。
4 今津タバコ店前か
まず今津タバコ店前であるか否かについて考えるに、この場合実測値四八七米は計測値五三四米からマイナス九パーセント足らずとなり、誤差はプラス・マイナス一〇パーセントとの被告主張に即するばかりでなく、裏付けとして、ここで停車したとの被告猪股本人の供述もある。しかし、右供述は、本件事故が刑事事件として捜査された当初の段階でなされたものではなく、被告会社の事故係りを担当していた訴外内山なる人物から、「タコグラフで見ると今津タバコ店の前で停車している」と言われたため記憶が復活したというものなのであり(被告猪股本人尋問の結果による。)また当日アイスクリームを買うために今津商店タバコ店前で停車した記憶があるとしても、それが五回にわたる甲車の走行中、ちようど第四回走行時に起つたものであることは同人の供述によるも必ずしも確実ではない。この点確かめるためには、この日の他の走行分のタコグラフ・チャートを解析してそのパターンが今津商店タバコ店前で停車した第四回と異なるか否かを比較する方法があるが、本件では他の走行分の解析結果はなされていないのであつて、右のような諸事情を総合すると、甲車が今津タバコ店で停車したことを肯認する心証はそれほど十分なものとはいえない。
5 佐賀町交差点か
他方この解析結果により五三四米とされている停止地点を佐賀町交差点と仮定するとどうであろうか。この場合、実測値は六四五米(六六〇米)であるから、計測値からの誤差はプラス20.8パーセント(23.5パーセント)にも及ぶことになる(ちなみに、実測値からの百分比誤差は、六四五米および六六〇米に対し、それぞれ17.2パーセント、19.9パーセントである)。もし被告らの主張する「誤差はプラス・マイナス一〇パーセント以内」ということが、例外を許さぬものであるならば、右の仮定は到底維持しえず、遡つては、今津タバコ店前の停車を認めざるを得ないことになる。
6 近距離計測上の誤差
しかしながら、本件証拠上、近距離計測における誤差の範囲は、必ずしもプラス・マイナス一〇パーセント以内におさまつてはいない。ここで、乙第二号証および乙第五号証の実車テストの数値(タコグラフは、積荷の重量、タイヤの圧力、外気の温度等によつて影響を受けるけれども、右実車テストにおいては、甲車と同車種の車両に甲車が当時積載していたのと同じ重量の積荷を積載した上行なわれたことが認められるので、誤差を論じる上で、計器以外の要因は無視してよいと考えられる。)により解析された二つの停止地点(今津タバコ店および佐賀町交差点。ただし、後者は、乙第三号証ではガソリン・スタンド前であり、乙第五号証では、第三回テストを除き、交差点中央である。)までの走行距離が、真値(実測値。ただし、テスト車、乙第三号証では奥の点から、乙第五号証では基点から出発しているので、この点を考慮に入れる。)に対し、何パーセントの誤差を有したかを調べて見ると、別表①②のとおりとなる(ただし、乙第五号証のテスト中、第六回、第七回は減速走行の例であるので、また、第五回は佐賀町交差点で停止しなかつたのではないかとの疑いがあるので、いずれも、使用しない)。すなわち、誤差がおおむね一〇パーセント以内におさまることは事実であるが、時としてそれ以上の、二〇パーセント近い値を示すこともあることが、この程度の回数のテストでも示されているのである。
誤差がおおむね一〇パーセント以内におさまるということは、タコグラフ・チャートの解析結果が相当信用性の高いものであり、他に証拠のない場合十分に推定資料たりうることを示すものであるが、本件におけるように間接事実の一致から生ずる強力な推定を打ち破るための反証としては、右のような例外が認められることは致命的といわねばならない。
7 次の停車地点の問題
右のとおりであるから、計測値五三四米の地点における停止を佐賀町交差点での停車を示すものと解することに必ずしも障害はなく、今津タバコ店前での停車を認める必要はないことになる。しかしながら、本件タコグラフ・チャートの当該個所には、五三四米に次いで六九四米の地点での停止が示されており、被告ら主張では、これが佐賀町交差点での停車に見合つているのであるから五三四米地点での停止を佐賀町交差点での停車と解する以上、次の停車地点が現地のどこと見合うかも本来明らかにされるのが望ましいのである。しかし本件記録に含まれている証拠資料の範囲では、甲車の佐賀町交差点右折後のコースは必ずしも明らかでなく、甲第三四号証により港区の芝浦製糖株式会社第二工場に向かつたと認められることから、永代橋を渡り、その後左折したものと推測されるのみであり、その間前記計測値の誤差の範囲内でどの地点で停車したかを実地と対応させるに足る証拠はない。しかしこの点に不明確さが存するからといつて、その不利益を原告らに帰すべきものでなく、前示のとおり、他の間接事実から甲車こそ加害車両であると推定するに足ると認められるとき、他の間接事実を挿んでこの推定を争う際の証明責任は、いわゆる間接反証責任であつて、右の推定につき反証の責任を負う被告らに存するのであるから、前示のように誤差の範囲内か否かの論点でこの推定をくつがえせなかつた以上、これに伴う右の点に不明確が存するとしても、反証としては不成功というほかはない。
(四) したがつて、本件加害車両は甲車であると推断せがざるを得ない。
二被告会社の責任
被告会社が甲車を所有していたことは当事者間に争いがないので、被告会社は自賠法三条により、原告らの蒙つた後記損害を賠償する責任がある。
三被告猪股の責任
前第一節において認定した事実によれば、被告猪股は本件道路を佐賀町交差点に向かい、甲車運転進行中、本件事故現場において道路の東側端を甲車と同方向に歩行中の登に甲車を接触転倒させた上これを轢過したものと認められ、これは、同人に前方注視義務を懈怠した過失があつたことを推認させるものである。したがつて、同人は、民法七〇九条により原告らの蒙つた後記損害を賠償する責任がある。
四損害
(一) 入院治療費
<証拠>によれば、原告保は鈴木病院に四万四〇三〇円の登の入院治療費を支払い、同額の損害を蒙つたことが認められる。
(二) 葬儀関係費
原本の存在については当事者に争いがなく<証拠>によれば、原告保は少なくとも登の葬儀関係費としてその主張額一二万九六八五円の支出をし、同額の損害を蒙つたことが認められる。
(三) 登の失つた得べかりし利益
<証拠>によれば、登は昭和三二年九月一九日生まれの当時満五才九カ月の健康な男子であり、同年令の男子の平均余命は62.45年であること(第一〇回生命表による。)労働省労働統計調査部編昭和四一年賃金センサス第一巻第二表によれば(統計表は損害額算定上の一資料にすぎず、どの統計表を使用するかについては当事者の主張による拘束を受けないものと解する。)、全産業労働者の男子一人当り一カ年の平均給与額(平均月間きまつて支給される現金給与額三万三一〇〇円に一二を乗じたものに、平均年間特別に支払われる現金給与額八万九三〇〇円を加算したもの)は、四八万六五〇〇円であること等が認められる。
登は満二〇才に達した頃から六〇才に達する頃までの四〇年間、右金額程度の収入を得続けたであろうと考えられる。ところで同人の生活費としては、右収入の五割程度と考えるのが相当であるのでこれを控除すると、同人が得たであろう年間純益は二四万三二五〇円となるところ、同人は本件事故によりこれを失つてしまつた。そこで右金額を基礎にして、ホフマン式(複式・年別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の死亡時における現価を求めると三七四万円(一万円未満切捨)となる(その算式はである。中間利息控除の計算上登を満六才として計算する)。したがつて登は本件事故により三七四万円の損害を蒙つたことになる。
(四) 登の慰謝料
原告らは、登が受傷してから死亡するまでの間に蒙つた精神的苦痛に対する慰謝料請求権を取得し、これを原告らが相続した旨主張する。
しかし、本件争いない事実によれば、登の受傷後死亡まで僅々四時間半に過ぎず、被害者登は、いわゆる致命傷を負つたと認められるのであつて、このような場合、被害者に死亡に対するものを除いての傷害のみに対する慰謝料請求権が発生すると認めうるか否かが既に疑いのあるところであるばかりではなく、かりに傷害のみの慰謝料請求権が、一旦被害者に発生すると考えとしても、その権利は一身専属的性質を帯有すると見るべきであるから、例えば被害者の請求に応じて被害者が慰謝料の支払いを約した場合のように特別の事情の存する場合は別として、被害者の死亡と同時にその相続人により承継されることなく消滅すると解すべきものであつて、右のような特別の事情の主張のない本件においては、原告らの主張はそれ自体失当といわざるを得ない。
しかしながら、受傷後死亡までの間意識を存した愛児登の苦しみが、看護に当つた両親の精神的苦痛をそれだけ深めたことは、<証拠>に徴し、窺知しうるところであるので、この点は、原告ら固有の慰謝料を算定するに当り、十分斟酌することとする。
(五) 原告らの相続と主張額
<証拠>によれば、原告らは登の両親であること明らかであるから、原告らは相続により前記登の逸失利益の損害賠償請求権の各二分の一にあたる一八七万円を承継取得したと認められる。したがつて、この範囲内である原告ら主張の損害額各一二七万〇〇二六円に対する賠償請求権を肯認することができる。
(六) 被告らの抗弁に対する判断
1 養育費、教育費等について
被告らは、登が収入を得るに至るまでの間の養育費、教育費等相当額を原告らの右相続分から控除すべきであると主張する。
かかる主張に対し、いわゆる損益相殺は、「賠償請求権者」が損害を受けると同時に損害を受けたと同じ原因によつて利益を受けた場合に限られるべきものであるところ、本件の場合、原告らが被害者登の死亡により扶養義務者としての将来の支出を免れたとしても、死亡により被害者登に生じた逸失利益賠償請求権の主体は登自身なのであつて、原告らとは人格を異にするから、いわゆる損益相殺をなすべき場合とはいえないとの見解がありうるが、当裁判所はそのようには考えない。一体、死者の遺族が死亡による消極的損害の賠償を請求する場合、二つの理論構成がありうる。一つは、遺族が死者から得ていた扶養に着目し、扶養喪失を間接被害者たる遺族に生じた損害として、あるいは、扶養請求権の侵害という直接損害として、把握する仕方であり、もう一つは死者本人が死亡によつてその得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を取得したのをその死亡により相続する、という常套の手法である。その後者は、相続という点を強く見れば、なるほど人格を異にする二つの権利主体間における権利移転を主張するものであるが、元来相続を予期せずに被相続人に帰属していた権利が、その後に生じた死亡により相続せられることとなる通常の事態と異なり、この場合には、被相続人に生ずる権利はその死亡自体によつて発生するとされるものなのであり、したがつて、発生すれば、そのまま即時に相続人に移転される権利なのであるから、死亡と同時に相続人に発生する権利と比べても逕庭はないのである。このように見れば、死者の遺族が、前記の後者すなわち逸失利益相続の理論によつて請求をしている場合に、それが相続であることに拘泥して死者本人への中間的な権利帰属を強調することは、かえつて事態の真相を見誤らしめることとなり兼ねない。むしろ、遺族は、どの理論構成によるも、当該死亡事故による「賠償請求権者」自身なのであつて、他の賠償請求権者の単なる「相続人」ではなく、逸失利益相続理論によるのは、その賠償請求額算出の一手段たるに止まる、と見るべきものである。
かように論じうるとすれば、損益相殺の法理の適用にあたつても、遺族を中心に考えるべきこととなる。したがつて被相続人の死亡という事実により遺族が支出を免れた費用がもしあるとすれば、相続した逸失利益賠償請求権額からこれを控除するのが当然であり、本件における養育費、教育費等は、原告らが登の扶養義務者として、同人の死亡により将来の支出を免れたものと言えるからやはりその例外をなすものではない。
そこで、次にその額が問題となるが、原告保の職業等諸般の事情を考慮すると、登の養育費、教育費等の額は成人までの年月を平均して月五〇〇〇円程度と見るのが相当である。そうすると年額六万円となり、右金額を基礎にして、原告らが登が二〇才に達するまでに支出したであろう総額の現価をホフマン式(複式・年別)で年五分の中間利息を控除して算出すると六二万円(一万円未満切捨)となる(中間利息控除の計算法、登を前同様満六才として計算する)。したがつて原告らは六二万円の支出を免れたことになる。そして、その負担割合は、他に特段の事情の見るべきものもないので、各二分の一とするのが相当であるから、結局、原告らの損害額からそれぞれ控除すべき額は、各三一万円となる。被告らの抗弁は右の限度で理由がある。
2 就労可能年限以降の生活費について
被告らは更に、登の就労可能年限以降の生活費相当額を控除すべきであると主張する。
しかし、本件の場合、賠償請求権者である原告らが登の就労可能年限である六〇歳以後の生活費を負担する可能性は極めて少ないのであるから、原告らに登の右生活費負担を免れたことによる利益が生じたと見ることは困難である。もつとも、登が六〇歳以後無収入となつても他からの扶養を受けずに暮してゆくべきことが確実であれば、損益相殺をまたず、前記逸失利益の算定上これを考慮して損害発生の額を少なく見るべきものであるが、社会保障制度の発達からも将来のそのような事態を推認する余地はない。したがつて、いずれにせよ、この抗弁は認められない。
(七) 原告らの慰謝料
本件事故により原告らが愛児を失い多大の精神的苦痛を蒙つたことは明らかであり、ことに、前示のとおり、登の受傷後死亡までの間の事情も斟酌すべきものである。よつて、予備的主張を認容し、原告らの精神的苦痛を慰謝すべき金額としては、各八五万円と見るのが相当である。
(八) 保険金の受領および充当
原告らは自賠責保険金二五万円を受領したことを自陳し、被告らは弁論の全趣旨によりこれを援用したものとみるべきであるので右金員を原告保、原告由喜子の各損害額からそれぞれ控除することとする。
(九) 控除後の額
以上により、原告保の損害額は合計二二九万三七四一円原告由喜子の損害額は合計二一二万〇〇二六円であるが、右の(六)1および右(八)の各金員を控除すべきものである。よつて、原告保は一七三万三七四一円、原告由喜子は一五六万〇〇二六円の各損害賠償請求権を有することとなる。
(十) 弁護士費用
ところで、被告らが以上認定にかかる賠償額を任意に弁済しないことは弁論の全趣旨により明らかであり、<証拠>によれば、原告らは原告ら訴訟代理人弁護士に対し本訴の提起と追行とを委任し、原告ら主張どおりの金額の債務を負うことになつたことが認められ、本件事案が事実上、法律上の問題点を多く包合し、双方訴訟代理人に活発な訴訟活動を要求したことおよび前記損害認定額その他本件に現われた一切の事情を勘案すると、右の金額中、原告保に関しては、二六万円、原告由喜子に関しては二五万円を以つて本件事故と相当因果関係にある損害と見るのが相当である。
五結論
以上を総合し、原告保の請求中、一九九万三七四一円およびそのうち弁護士費用二六万円を除いた分につき、原告由喜子の請求中、一八一万〇〇二六円およびそのうち弁護士費用二五万円を除いた分につき、それぞれ被告らに対する訴状送達の日の翌日以後であること記録上明らかな昭和四〇年一二月三一日以降各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由なしとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条を、仮執行の宜言については同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓次 荒井真治 原田和徳)
別表①
今津タバコ店前に関する計測値とその誤差
計測値(A)
m
実測値(B)
m
誤差
(B-A)
m
B-A/A×100
B-A/B×100
**
乙3号証
No.1
538
*524
-14
-2.60
+2.67
No.2
561
524
-37
-6.60
+7.06
No.5
470
524
+54
+11.49
-10.3
乙5号証
No.2
427
487
+60
+14.05
-12.32
No.3
509
487
-22
-4.32
+4.52
No.4
514
487
-27
-5.25
+5.54
* 524=487+37
**参考のため実測値を分母とする百分比誤差も併せて示す。
別表②
佐賀町交差点に関する計測値とその誤差
計測値(C)
m
実測値(D)
m
誤差
(D-C)
m
D-C/C×100
C-D/D×100
**
乙3号証
No.1
693
*682
-11
-1.59
+1.61
No.2
732
682
-50
-6.83
+7.33
No.3
777
682
-95
-12.22
+13.93
No.5
624
682
-58
-9.30
-8.50
乙5号証
No.2
564
660
+96
+17.02
-14.55
No.3
625
645
+20
+3.20
-3.10
No.4
681
660
-21
-3.08
+3.18
* 682=645+37
**参考のため実測値を分母とする百分比誤差も併せて示す。